2013/03/19

被災現場を訪ねて


はじめに
今回は『“被災地”と一言で片付けることはできない』ということを感じて頂きたいと考えています。復興がどんどん進んでいる地域、再び住むことが制限された地域、未だにわが身の行方も分からず仮設住宅に暮らしておられる方など、被災の度合いも、復興の速度も、世間の関心の深さもさまざまです。今日はいくつかの地域やその地域の方々に出会いますが、そのそれぞれの違いを感じてくださればと考えています。
(2013/2/24 堀田暢(とおる)[支援センター・エマオスタッフOB])


9時半「支援センター・エマオ出発」
舞台公演「共に生きる」

復興カフェ「希望」にて
舞台公演「共に生きる」

車窓からの「荒浜」
舞台公演「共に生きる」

店主(中央)と
舞台公演「共に生きる」

被災された農家の菅野努さんの話を伺う
舞台公演「共に生きる」

被災した名取教会にて・荒井偉作牧師よりお話を伺う


あんなにいろいろな所を案内していただいて本当に感謝です。
今回、行けて良かった。
しげちゃんも参加できて良かったと言っています。
会社や稽古場でも見てきたものを話しまくっています。
堀田さんにもよろしくお伝えください。
(藤枝直城)

また、時間をつくって「エマオ」に行きたいと思います。
みなさんによろしくお伝えください。
(鎌田史子)

震災から2年、被災地の現状を見て驚いたり考えさせられたりしました。
現地に住んでおられる方が、ボランティアの方のために始めたという復興カフェ『希望』がとても印象に残っています。
離れた所に住んでいる自分にできることは少ないですが、少しでも見せていただいたもの、感じたことを周りの人に伝えていければと思っています。
堀田さん、荒井先生、被災地を案内して頂いてありがとうございました。
お話しを聞かせてくださった『希望』の店主さん、菅野努さんにも心から感謝いたします。
(千葉雅子)


『今回の企画の発端は、藤枝直城さんの一言にあります
いつも、私の被災地行きのバスの手配をして下さっている彼女が1月の手配時の電話で
「そろそろ、白鳥の会の同窓会をしたいな~」という提案をされました
正直なところ、被災地に通い続けているとワイワイ楽しい気分になれず躊躇しました
しばらく、ぼ~っとしていると、いつものようにひらめきが!
ということで、今回の企画を思い立ち、メンバーにお知らせしたところ、都合をつけてくださった
メンバーとその関係者4名と引率で同行した私5名での参加となりました
当日は、この冬一番の厳寒、吹雪の中の被災地巡りとなりましたが、みなさん、よく頑張ってくれました
4名の方が、被災の事実に向き合うことで、何かがほんの少し変わったような気がします』

目黒恵子

日本キリスト教団・東北教区センター「エマオ」

2012/01/04

仲間が次々被災地へ-2

11/30 「新垣 勉 被災地コンサート」 於:岩手県末崎中学校
このコンサート開催のための資金を全面的に援助
市村みさ希ちゃんと一路岩手へ!
   
この中学校の校庭に仮設住宅がビッシリ立ち並び、まさに「非日常」の光景
被災者にとって、3・11は過去形ではないということを突きつけられました

この学校は、高台に建っていたので、津波の被害はありませんでした
しかし、被災した生徒の家が多数あったことと、学校の真下に活断層がはしっていたので校舎が悲惨な事になってました

舞台公演「共に生きる」


コンサート終了後の食事会
右から2番目の吉田恵子さんは翌日の一関会館(1200人席)でのコンサートも企画
9/11 大船渡教会で知り合った方です

舞台公演「共に生きる」


支援センター「エマオ」からの暖房器具募集に応え、わが「白鳥の会」の仲間に呼びかけたところ
山口由里子さん(ワンピース:ニコ・ロビン役)からファンヒーターの提供の申し出がありました
12/1 由里子さん宅からヒーターを積み込んでいるところ
車と運転は、ベテラン丸山良江さん、冷たい雨が降る日でした

舞台公演「共に生きる」

④③と同時に募金として協力してくださった鎌田史子さん、藤枝直城さん、私から合わせて3万円を送金
被災地で暖房器具を購入していただきました
ちなみに、私から我が家の中古のホットカーペットも送りました

舞台公演「共に生きる」

③④の詳細は「エマオ」http://uccj.jp/top.htmlのブログに掲載されてますのでご覧下さい

12/22~25 石巻・荒浜にて

■仙台駅から高速バスで石巻へ(1時間30分)

舞台公演「共に生きる」

■被災した『海苔工場』が12月に再開
そのお宅から戴いたワカメ、湯通しすると茶色から鮮やかな緑色になってワカメしゃぶしゃぶにして夕飯のお供に

舞台公演「共に生きる」
舞台公演「共に生きる」

■24日ボランティア&スタッフとささやかな夕食

舞台公演「共に生きる」

目黒恵子

2011/12/17

仲間が次々被災地へ

6/24,25 目黒昭彦さん(宮城・荒浜地区)ヘドロのかき出し
7/28-31 成田淑子さん(岩手気仙沼鹿折本吉地区)
友人の車で23時大泉学園を出発。現地翌朝6時到着。
車で10-15分の寺でフリーマーケット形式の支援物資炊き出し(カレー・ピーマンマグロづめ)
ボランティア用の布団の整理
8/19 富居博典さん(宮城)内勤後をバスを乗り継ぎ石巻へ
8/26-29目黒昭彦さん、下田隆彦さん、真奉くん、祐治くん(宮城)
ヘドロのかき出し
9/10-11 私(岩手・大船渡)
夜行バスで朝5時半着。大津波で壊滅した漁業市場や家々を目の当たりに。半年経った跡地にコスモス

$舞台公演「共に生きる」-1


東海新聞朝刊:震災から6ヶ月。亡くなられた方々、行方不明の方々の名前がびっしり。この中に、この日訪ねた教会の信徒の方々の名前も。
18歳の双子の可愛らしいお嬢さんとそのお母さん、他。

$舞台公演「共に生きる」-2


国内、外国から来るボランティアを受け入れている教会の壁には隙間なく寄せ書きなどが。

$舞台公演「共に生きる」-3


6月中旬、宮城で一緒にボランティアした方と感激の再会!

$舞台公演「共に生きる」-4


訪ねた教会の村谷正人牧師と

$舞台公演「共に生きる」-5


9/11 藤枝直城さん 出演する舞台でTシャツの売上一部を被災地に寄付
9/23-24 下田隆彦、順子夫妻、須賀良子(ながこ)さん、鎌田史子さん、私(宮城・荒浜地区)

$舞台公演「共に生きる」-6


大津波が襲った家の修復・
40名ほどの学生、若者の頼もしいこと! 皆、泥だらけになりながら一生懸命働く姿にこちらも奮起!!
作業の合間の休憩

$舞台公演「共に生きる」-8


ヘドロで汚れた床板を洗っています。

$舞台公演「共に生きる」-7


8/7 「クラスター爆弾禁止条約発行一周年記念」築地本願寺:松浦圭子さんと私
9/19 「さようなら原発集会・パレード」明治公園~代々木公園
千葉雅子さん、目黒昭彦さん、私。ユーチューブで映像が見られます。

$舞台公演「共に生きる」-9

(目黒恵子)

9/23・24の連休に、妻と2人で仙台七郷でのワークに参加させて頂きました。今回は、8月末に息子2人と一緒に来たのに続いて2回目となります。
木曜の仕事を終えて、新宿発の夜行バスに乗り一路仙台へ。早朝6時に仙台駅前到着。ネットカフェで小休憩後、駅にほど近いセンターエマオで登録。
ワーク地、七郷での活動の後、ボランティア参加者のためにエマオが用意してくれた近くのアパートで寝袋一泊。
翌日1日のワークをした後同じ夜行バスで帰京。2~3時間休んで、いつものように聖日礼拝。強行スケジュールのように見えるが、感想は「今度も楽しかった」です!
午前、午後泥を掘り出したり、庭石を運んだりで汗をかいた後、自転車に乗って50分程の道をエマオに帰る道、仙台のきれいな空気の中、さわやかな風に吹かれながら「やるべきことをした」という達成感と、これから銭湯に入ってさっぱりして、夜のおいしい仙台名物の牛タンも楽しみです。
仕事のことを綺麗に忘れて励んだ筋肉労働が出来る時間は、私にとって、心身ともにリフレッシュ休暇です。
しっかりした受け入れ態勢を準備してくださっているエマオのスタッフの方々、また被災地でのボランティア活動の意義と楽しさを証とともに紹介して下さり、今回も行き届いた配慮をしてくださった同じ教会の目黒恵子さんに、心から感謝しています。

$舞台公演「共に生きる」-0

(2011年10月1日 東京若枝教会 下田隆彦)

この度(9/23~24)、エマオでお世話になりました下田順子です。
8月末に主人(下田隆彦)、真奉(まさとも・長男)、祐治(ゆうじ・四男)がお世話になり、帰ってきた四男が「母も、絶対仙台に行ったほうが良い」とすすめるので、重い腰を上げて参加しました。
この度の被災地へのボランティアは初めてです。一日の始まりに、円陣を組み手をにぎりながら、心を合わせた祈りは、私の思いや行ないを主によってきよめられ、心ひとつにされる幸いな時で大変恵まれました。
七郷までの自転車での45分程の途上も、被災地のありのままの現在の姿を見ることができ、又、素晴らしい仙台の方々の人柄に触れることが出来、秋空の下、すがすがしく心洗われる時でした。
若い方々が、本当に、積極的に行動し、喜んで機敏に動く姿は見ていてとても気持ちよく、感動的でした。
私自身も、ともに労させて頂いた方々と、新しい出会いを与えられ、楽しい時でした。
エマオの被災者支援のスピリットである「寄り添う」という事も新しく私に与えられた課題となりました。
願わくば、時間と財が備えられ、まだ参加されていない方々と一緒に、再度、伺いたいと思います。
エマオのスタッフの方々の上に主の祝福と、被災地の方々の上に心よりお祈りしています。

$舞台公演「共に生きる」-6

(2011.10.2 東京若枝教会 下田順子)

2011/08/06

66年目の「原爆の日」

原爆投下直後の昭和23年の広島を描いた『父と暮せば』・・

井上ひさしさんの戯曲で、2004年に亡き黒木和雄監督により映画化され、先日亡くなった原田芳雄さんが父「竹造(亡霊)」の役。

井上ひさしさんの独特の台詞の中に、死んでいった人たちだけではなく、生き残ったことへの負い目に苦しみながら、息を殺すようにひっそりと暮している状況が、悲惨さを拡大しています。


「平和」と叫ぶことはとても大切ですが、私たちの中で「平和」をどう具体的に考えて行くのか・・
3.11のこと、原発のことも合わせて、改めて想う8月6日の朝です。


※私たちも2006年に『父と暮せば』を公演させて頂きました。

鈴木

2011/07/26

被災地での活動支援そのⅠ

2011年6月17日(金) 
19時までの仕事を終えて23時40分東京駅発高速バスに乗り込み仙台へ(ドキドキ)
$舞台公演「共に生きる」


翌日8時半からの打ち合わせ前  
私の右隣の女性は、高尾からの初参加者で幼稚園の先生、その右隣の女性は関西から。男性は、かなり長い滞在でワークに参加されたベテラン。
$舞台公演「共に生きる」


支援センター隣の教会前から自転車で被災者宅へ移動です。(再びドッキドキ)
さぁ、片道14キロに挑戦!10分ほど走ると何事も無かったような仙台市内から一変、陥没した道路、戦場のような光景が延々と続きます。
$舞台公演「共に生きる」


一日の作業を終えてセンターに戻ってから「ただいまー」
$舞台公演「共に生きる」


この日の中心の作業は、ヘドロ撤去&ビニルハウスの解体・組み立て。
戻ってから、バレエストレッチで酷使した身体をほぐし心もリラックス~♪

「作業写真は、被災者の気持ちを察して撮らないこと」というセンターからの注意がありましたので現場の写真はありません。
でも、「エマオ」で検索していただくとブログには写真がありますので、そちらをご覧下さい。
被災地に行ってナマで見るのが一番解かりますので、活動の参加は出来ないという方は是非、状況を見に行くだけでも!!

今回バスの手配は、藤枝直城さんが引き受けてくださり助かりました。

リポートは目黒恵子でした

2011年6月11日(土) 「反原発集会・デモ行進」に参加しました

東京港区芝公園集合での決起集会後に7キロ行進(4000人以上)
東京駅前に丁度、大勢の修学旅行の中学生が!
われら行進者は一斉に「あなたたちを守るために歩いてるんですー!!」と
彼らの目を見ながら叫ぶと、手を振って応えてくれたり、引率の先生が
こちらに向けて写真を撮ったり・・・

3月11日の東日本大震災では、天災の津波・人災の原発事故が発生。
原発の事故に思うことは多くあります。
震災後4ヵ月半過ぎた今も尚、右往左往している日本の政府、
政府(国)を動かすことができる国民の多くが未だに無関心で声を挙げない為に
状況が変わらない!
責任は我々にもあるということを痛感する日々です。
「あの時何もしなかった・・と後悔したくないから行動しています」とある人が言ってました

舞台公演「共に生きる」 舞台公演「共に生きる」


見よ!!「脱原発!」のはちまきをした猫のこのコワい顔を
(この猫さまも歩き通しました、スゴイ! 銀座をフラフラ歩いてる人間よりずっとマシです)

沖縄の基地問題も含めて、
今の状況に2年前の「共に生きる 公演」~未来からの伝言~が重なります。

護憲おばさんのセリフ
「軍隊が国民を守ってくれないとこ見ちゃったのよ!
わたし、満州にいたのよ、今の中国の東北部だわ。
1932年から日本が占領して、満州国ってのをつくってたの。
それがさ、1945年に日本が太平洋戦争に負けたでしょ、
そしたら、日本の軍隊が関東軍っていうんだけどね、
それが真っ先に逃げ出しちゃったのよ、ソ連が攻め込んでくるってんで。
満州の日本人置き去りだったのよ」


この場をお借りして、護憲おばさんを演じてくださった宮川清子さんは今年4月に亡くなりました。
きっと、天国でも「憲法改悪はんた~い!」と活動していらっしゃるのでしょうね、とは20代の共演者の言葉です。

目黒恵子